« 冬至を計算の起点にして | メイン | 豊島沖海戦 »

怨霊信仰

このような密教の興隆は王権の相対化をもたらし、藤原氏の勢力拡大に伴う旧来の名族の没落とも相まって、政争敗死者を担ぐことにより王権への不満や反撥を正当化する怨霊信仰が盛んとなった。

この動きは9世紀には御霊会の流行を引き起こしたが、これが神祇信仰に従来からあった怨霊祭り上げの風習に加えて、密教の側からの鎮魂も行われた点に神仏習合の類型を見ることが出来る。特に菅原道真の怨霊が天神信仰へと発展するに際し、仏教の論理により天部として位置づけられたことは、王権に対する祟りという考え方が密教の影響であることを示している。

うみぼうず 最強のビジネス情報
モーグル快適生活ナビ
審美歯科・矯正歯科関連いきいき健康ナビ
彼岸花おトクにショッピングサーチ
ひしよう教育ジャンプ紹介
観光・特産物関連ドライブ旅行総合
アラルガンドビューティーコスメ情報
センター ビジネス支援情報
マンダリン生活雑貨情報
マッサージ・老人ホーム関連医学プラザガイド

この典型的な例が平将門即位の状況に見られる。将門の新皇即位は、神仏習合の神であり天皇家の祖神でもある八幡神がその位を授け、位記(辞令)を菅原道真が書いたとし、仏教音楽により儀式を行うようにと神祇信仰の巫女が託宣したものであり、王権相対化の論理を正当化する手段としての仏教の影響が強く表れている。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.eekqgu.org/blog/mt-tb.cgi/1213

About

2009年04月29日 13:01に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「冬至を計算の起点にして」です。

次の投稿は「 豊島沖海戦」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35